フィリピンの世界遺産、バナウェのコーディリエラ棚田群で現地の生活体験【フィリピン語学学校8】
2018年9月1日
夜9時発のバンに6時間揺られて朝3時にようやくバナウェに到着。
バンを待ってるバス停で、おばちゃんと仲良くなる。娘さんが日本にいるらしい。そんな話はよく聞く。親類が日本にいるという話。日曜にまつりがあるから私の街に来ないかと誘われたが、時間がないため断念。残念。
バンってつらいっ!ゆれるゆれる。それでも少しは寝たけど全然休まらん。
ガイドはまだいない。バスに乗るって伝えてあったから、あと二時間くらいは来ないかな?バンの中で寝てもいいと言うことだったので、お言葉に甘えて仮眠。止まってると、なんて快適。
5時過ぎ、インフォメーションが開いてる!
「あのぅBさんいますか?ガイド頼んでるんですけど」
「B?おい!B来てるか!…まだだね。他のガイドじゃだめ?」
「今晩留まらせてもらう約束なので、彼女がいいんですが」
「ok、連絡してみた?電話番号知ってる?」
「あー、連絡先はわかるんですけど、wifiないから電話かけられないんです」
「あぁ、そうか、じゃあ電話するからちょっと待ってて。…すぐ来るよ。待ってて」
ごはんに持ってきたピーナッツバターパンを食べながら待つこと30分くらい、トライシクルでBさんが来た。
荷物取りに行くとかで、まず自宅へ。家は山の中腹で下で待ってるって言うとしばらくして朝ごはん食べないかと聞かれる。あんまり勧めてくれるから食べることにした。メニューは白米と炒めた野菜。質素だけど、美味しかった。手作りの味。シンプルな料理っていいね。
それから、棚田に行く前に、トライシクルで3分くらいの家にお祝いに行った。第一子が生まれたときに、村中みんなで祝う習慣があるらしい。お祝いに行ったといっても、私はライスワイン飲ませてもらって、食べ物進められただけ。ライスワインの作り方もバッチリ聞いたので、作ってみよう。
思ったんだけど、ここ、家にドアがない。あっても簡素で開きっぱなし。
開けっ放しなんて危ないな、とごく自然に思ったが、日本も昔はそうだったと聞く。鍵を閉めないといけなくなってしまった今の日本と比べて、果たしてどちらが危ないのか、と皮肉交じりに自分につっこみを入れた。
さて、いよいよバタットに向かいます。途中でも撮影ポイントでトライシクル止めてくれる。撮影大会だ。。。
10時ごろ、バタットに到着。ここからは歩き。村に続く道は人一人しか通れない細い道一本。
途中、人が竹とブランケットで作った担架で運ばれていく。最寄りの病院まで、徒歩1時間、車1時間。冷蔵庫買っても、60kgのコメ買っても、担いで運ぶ。すれ違う人たちの歩くスピード早いこと。そういう生活なんだな。
ガイドの人は道行く人全員と言葉を交わす。みんな知り合いだそうだ。こういうのって健全だよな。人間、って感じがする。
道すがらで、有用な雑草を教えてくれる。これは屋根、これはお腹に効く、これはトイレットペーパーがわり、あの木は紙を作る…生活のすべてに手が届く感じ、いいなぁと思う。
ところどころに不自然にくくられた草がある。これなに?聞くと、自分の土地を示す目印だそうだ。結び方が違ったりするらしいが、う~ん、よくわからない。
細い道を地元の人たちに追い抜かれまくりながら(みんな歩くの早い!)進むこと1時間ほど、ついに!…でっかい看板が。すかさず、
「ここで50ペソ。払ってね」
はいはい。
ようやく絶景棚田とご対面。
そこからはこれまたほっそい階段。民家の間を縫うように結んでいる。こういう地形を変えちゃうような人の営みを見ると、居心地が悪くなる。きれい!とか、すごい!より、うわぁ…って感じ。やらかしたな、って。自然破壊だ!とか言うつもりも思うつもりもないんだけどな。畏怖っていうのは近いかもしれない。しかもこれ、灌漑含めて2000年前にはできてたらしい。すごいわ。大型哺乳類ヒト。
ガイドさんに聞いたこの地の逸話、超要約版
鹿を追っていた猟師がこの土地を見つけて、おお、ここはコメを作るのに適している!って思って始めたんだそう。
ちなみに向こう側の山を見ていて、一定の高さまでしか棚田がないのを疑問に思って訪ねてみると、源泉がそのあたりの高度から湧いていて、それ以上上には水を引けないから、だそう。
ここ一体の田んぼは当然のように無農薬無化学肥料。刈った草やぬかは田んぼに還元する。
今となっては有機栽培、自然栽培がいいもの、新しいものとして認識されているところがあるけど、トリカブトとかが天然の農薬として使われていたのを除けば、農薬も化学肥料も普及したのは1900年代になってからだ(日本での話)。昔は今でいう自然栽培が当たり前で、”自然栽培”なんて概念もなかったんだろう。ここのお年寄りが靴を履くなんて気持ち悪いと思うみたいに。
いろんなものが、ないならないでよかったんだろうと思う。いろんな概念が増えすぎて、言葉ばかりがうるさい。
現代のバナウェの自然栽培について言えば、外部からいろんなものを投入する習慣がないことに加えて、インフラが整っていないこと、買うお金がないこと、あとは、出荷していないということで、自家用だけが賄えればよく、農業で儲けようと思っていないことも、いわゆる、”昔ながらの栽培方法”が守られる原因だと言っていた。 若者は環境業で儲けるか、街に行く、お金があるなら海外へ留学するそうだ。
登ったり降りたり、山一つ回って、途中の村にあるガイドさんの両親の家でご飯。安く済ませるようにしてくれてる。(バナウェの方の家は旦那の両親)インスタントラーメンと雑草。台湾ではちゃんと蔬菜=栽培した食べられる菜と、野菜=野にある食べられる菜って言葉を使い分けてたけど、雑草って、失礼だよな。立派な野菜だ。美味しいし。バリエーション増えるし。タダだし、手間もかからないし。最高じゃないか!
ハンモックで一寝入りさせてもらってちょっと回復。
また登って降りて滝へ。徹夜明けのハードな運動・・・つ、疲れた。
6時頃、出発点まで戻って来る。トライシクルと旦那さんが待機中。一人旅行者捕まえたら、しばらく食えるんだろう。
ガイドさんの家に帰る。旦那さんはトライシクルでどこかへ。もう一仕事かな?いつも思うけど、田舎の人ってほんとにタフだ。
しばらくして、市場に買い出しに行くことに。ついていく。旦那さんに連絡がなかなか取れず、ついた頃には電気消えてて、店もほとんどしまってた。
ガイドさんは家に帰ってからも晩御飯の用意やらなんやら。旦那さん、おじいちゃんおばあちゃん、子供たちはテレビ見たり、カードゲームしたり。どこの国でもお母さんは大変だな。。。