すべての悩みから脱却するために/初心者向けミャンマー仏教の教え【メディテーション@ミャンマー8】

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メディテーションセンターの朝日
メディテーションセンターの朝日

あなたは、日々の生活の中で感情に振り回された経験はありますか?

旅の途中、ミャンマーで一週間、毎日朝から晩までメディテーションに取り組んで、気持ちが少し楽になったので、考え方をシェアしたいと思います。

私も未熟者なので、至らないかと思いますが、ご質問等はコメントでいただけたら気付き次第、返信させていただきたいと思います。
仏教寺院だったので、多少宗教臭い部分もありますが、回し者ではありません。一切勧誘等の他意はございませんので、ミャンマーのお坊さんはそういうことを言ってたんだな、くらいに思っておいてください。

前置きが長くなりましたが、結論から言います。

鍛えるしかありません。

自分で自分を救うしかありません。あなたの内面はあなたにしか変えられません。家族にも、友達にも、恋人にも、占い師にも、グ〇グル先生にもできないのです。

そのトレーニング方法がメディテーション(瞑想)です。筋肉を鍛えるために筋トレするのと同じです。精神を鍛えるために、メディテーションします。

実際にやることの見た目は、座禅を組んだり、歩いたり(ウォーキングメディテーションの記事はこちら)なのですが、やればいい、というものではありません。無になれ、と言われても、無とはどういうことなのかよくわかりませんし・・・。

ミャンマーのお説教では、まずは「こだわりを捨てろ」と繰り返し言われました。

真実には「オリジナルトゥルース(もとからある真実)」と「クリエイテッドトゥルース(作られた真実)」があります。

例えば、目の前に”あなたの”携帯があります。その携帯は本来”ただの”携帯です。 ”あなたの”ものだという真実は、あとから付け足されたものです。

社会生活を営む上では、勝手に”あなたの”携帯を盗むと犯罪になりますし、二つの真実のどちらがより大切か、という話ではありません。ただ、メディテーションするうえでは、”私が、私の”といった クリエイテッドトゥルース (作られた真実)を消し、オリジナルトゥルース(もとからある真実)に近づいていく必要があります。
実際には以下のように使います。

メディテーションしている時、足が痛くなります。痛い、痛いと思うことは、”私の”足が痛い、と思うことになります。そうではなく、この痛みは、今ここにあって、やがて去っていく、大きなサイクルの中の小さなエレメント(要素)に過ぎない(痛みは火のエレメントlだそうです)、と淡々と観察します。しばらくすると、それが三十分か一時間か、もっと長かったかはわかりませんが、本当に消えていきました。心頭滅却すれば火もまた涼し、とはこのことを言っているのかな、と思いました。

お説教風景
お説教風景

また、メディテーションすることは、心を無にする=閉ざすことではありません。むしろ真逆です。すべてに注意深く気付いていること(マインドフルネス)です。

まずは例を挙げます。

Aさんが手をたたいた音が聞こえた。

これを分解します。

Aさんが手を打ち合わせる

パンッという音が発生する

音が空気を伝う

耳に届く

鼓膜が震えて脳に届く

音を認識する

聞こえた、と知る

手をたたいた音だと判断する

感情がわく

行動する

これだけのプロセスがあります。

メディテーションではこの過程のすべてを、人に自然に備わった6つの感覚器=目、耳、鼻、口、皮膚、心すべてにおいて把握することを目指すそうです。

そうです。感覚器は5つではなく、6つある、と教わりました。火に触れたとき熱い!と感じるのと、心が悲しみや喜びを感じるのは同じくらい当然のことだ、と。

すべてを把握する!というのはかなり難しいですが、少しでもこの過程に気付けると、いいことがあります。

感覚器が働くのは、生きている間当然のことなので、人は悲しみも怒りも苦しみも喜びも、自然に湧き上がってきます。湧き上がってくるところまでは当たり前なのですが、それに捕らわれるか(”私の”ものだと認識するか)どうか、行動や心の持ちようは自分で選べるようになります。

教えてくださったモンク(僧侶)の方は

「生きている限り、日々、感情の波はある。私にもいまだにある。しかし、メディテーションの修行を続けて、波の振れ幅が以前よりだいぶん小さくなった。私はできるだけ平坦な波を目指している。だが、まっすぐになってしまえば、それは心電図と同じで死を意味する。だから笑いもするし、泣きもする。その時に感情にとらわれないことだ。その感情は”私の”ものではないのだから。」

とおっしゃってました。

苦しみから脱却するのは、何度も自分と向き合って、”自分”という枠を払っていくこと、鍛えていくことしかない、とのことです。 私は現在修行中です。

まだまだ、まだまだ奥がふかぁいメディテーションの世界ですが、何かの参考になれば幸いです。いったんここで終わりますが、リクエストがあれば、もう少し詳しく書いたり、もらってきた本を訳したりできますので、コメントしてください。もしくは、日本語記事はなかなか見つからないので、「universal meditation」と検索していただくと、いくつか英語記事が読めるかと思います。

以上ミャンマーの僧侶に教わったことでした!

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