神様【ファームステイ@モンゴル21】
モンゴルの森に白樺の皮を取りに行った。燃えやすいため、着火剤として使用している。
森の中を歩いていると、なにもないようなところに柵を見つけた。最初は、夏、冬、春秋で季節に応じて3つの家を使い分けるという遊牧民の家のうちの一つかな、と思ったが、農場の人が
「あそこには神様がいるんだ」
と言う。
そうはいっても祠も何もない。 不思議に思いながら近寄ってみる。真横まで来ても何のことを言っているのかわからない。よくないものでも見えているのか、私をからかっているんじゃないのか?と思って振りむいてみると、いただろ?と顎をしゃくる。
そんなに小さいのか?と怪訝に思いながら、柵の上からのぞき込んでみて、やっとわかった。
湧き水だ。
ああ、これが神様か。驚くほどすとんと腑に落ちた。
命の水だ。なくてはならない、生命の根幹。
大地に湧き出た、一筋の、小さな川の始まり。それが神様だという。
だとしたら、人間は、どれだけの神様を葬ってきたんだろう。
湧き水の近くで新雪を縦横無尽に踏み倒した跡があった。どうやら人と狼の足跡だ。足跡をたどる。
たどった先にあったのは争いの跡と狼の残骸。
ここは壮絶な命のやり取りがあった、その現場だ。人が一方的に優位だったわけではない。
凄い、怖い、驚き、悲しい、気持ち悪い・・・言い表せない感情が渦巻いて、腹の底が重い。
周辺には鳥や小さい動物の足跡もあって、このニクが貴重な食糧になったことが知れる。
さらに先には、人の足跡のみが、新雪の上を、今度はただまっすぐに続いていた。
モンゴルでは男性の強さの証明として、自分で仕留めた狼の牙をアクセサリーのようにして身に着けるらしい。車でも、腕時計でもなく狼の牙。
続いていく足跡の向こうに、仕留めたばかりの狼の牙を首から下げた、勝者の背中が見えるようだった。
もう一つ、神様に出会った。
「待て待て!これは神様なんだ!」
いきなり火かき棒を暖炉の扉の前に差し出して、とおせんぼし、暖炉に鼻をかんだティッシュを投げ入れようとしたフランス人と、今まさに鼻をかもうとしていた私に向かって、モンゴルのおじさんが言う。
フランス人はあわてて腕を引っ込め、私は鼻水が引っ込んだ。
「そっか。ごめんなさい。神様が住んでいるんだね。」
「いや、住んでいる、という言い方は少し、違うかな・・・。うーん、とにかく、暖炉の火は神様なんだ。だから余計なものは入れてはいけない。ゴミも絶対暖炉では燃やさない。古くさい考えだけど、オレは小さい時からそうやって教わってきたし、守ってきた。」
暖炉の火に神様が住んでいるのではなく、暖炉の火が神様。この違いは小さいようで実はすごく大きい気がした。そこに神が宿るから(という理由で)大切なのではなく、そのもの自体が大切。それ自体が神様。
あらゆるゲルの中心にある、薪もしくは乾燥牛糞の暖炉。
人々はこの暖炉の周りで生活を営む。
神様の住むお社の周りで、人々が躍っている光景が脳裏をよぎった。
ありふれた「神様」に希少性はないけれど、大切なことに変わりはない。連綿と続く、「生きる」ということは、案外こういうことなのかもしれない。