ドイツの自給自足生活 vs. 東南アジアの自給自足生活【ファームステイ@ドイツ7】

スポンサーリンク

ドイツの農村は、青い空に開けた農地、とんがり屋根の教会が丘の上に建っている。
今回滞在している農場があるのは、そんなヨーロッパの農村のイメージそのままの、静かできれいな場所だ。

今回の記事では、前回書いた通り、そんなきれいで便利、だけど不便なドイツと、不便だけど満たされている東南アジアの自給自足の生活を比べてみたいと思う。現代日本の生活はドイツの方が似ているので、「ドイツ」と書いた部分は日本と重ねてもらえればわかりやすいかと思う。




今回滞在中のドイツの農場では、最寄りのスーパーまでは自転車で一時間かかる。車は使わない生活なので、買い物の際は大きな袋をいくつも持っていき、合計20kgくらいは積んで帰る。坂道が多いので大変だ。

この、最寄店との距離が私がアジアで見た農場との違いの一つ。アジアの田舎だと、日本にも昔あったような小さな個人商店が村にいくつもある。車がなくても困ることはなかった。

ドイツの田舎ではそうはいかない。日本の田舎もそうだが、車がないとほんとに何もできないか、上記の自転車の例のように、買い物一つで大変な苦労をすることになる。移動に人よりも時間がかかるということは、その分他の人よりも仕事ができないということになってしまう。

車だのなんだので速く移動できるようになっても、結局みんな速く移動できるようになっているわけだから相対的にはだれも速くない。結局全員でせかせかしないといけない羽目になって、もともとの生活より余計に疲れる。
東南アジアの農場ではゆっくり流れていた生活が、ドイツや日本では忙しいだけだ。


また、植物の栽培方法がかなり違っていた。

日本やドイツはとにかく人が手を入れる。

畑を耕し、種を蒔き、草を刈り、肥料をいれ、水をやり・・・
自分たちの食料を作るためだけでも仕事だらけだ。

私が見てきた東南アジアの農家は違う。

必要最低限だけ手を入れて、あとは自然任せだった。

タイの自給自足農家の畑
タイの自給自足農家の畑



パッションフルーツやキュウリ、カボチャなど育ちやすい植物に関しては、食べてそのまま、種を畑の方へプププッと飛ばしたらそれでおしまい。そのうちいくつかは生えてくるので、それで十分。木も生えているの支柱をわざわざ立ててやる必要もない。

そのほか、ほったらかしで実をつけるバナナなどの果樹が農場中に植わっているし、ニワトリは放し飼いでそこらじゅうを歩き回っている。

仕事に追われることもなく、のんびりしていた。人以外の動物もストレスがない。
前に日本で「昔はこんなに働かなくも生活できてたんだよ。食べるものには困らなかったんだから。」と言っていた戦時中生まれの農家のおばあさんの顔が浮かんで、あぁこういうことか、と思った。

気候の違いでバナナは育たないにしても、日本にもドイツにもほったらかしで十分な実をつける植物はたくさんある。楽に食料を手に入れようと思えば、知恵と技術と土があれば、どうにでもなる。

この、”人が!すべてを!支配しなくては!いけないんだ!”
という気張った感じが、結局自分の首を絞めているように思った。
これが2つめ。

3つめは何といっても東南アジアの方が人と人との距離が近い。物理的に近いということは、精神的にも近いということで、何かあった時にはすぐに人手が借りられる。ドイツでは普段関りがあるのは家族のみで、2か月滞在していても近所の人とはほとんど出会わなかった。
少なくとも、自給自足をする上では、生活スタイルが似ている人が近いことは大きな強みだった。
人さえよれば、重機がなくてもそんなに苦労することもなく家が建つ。労働力となる動物が倒れても、近所の人がすぐに援助してくれる。




ドイツでのしんどい自給自足と東南アジアのゆるい自給自足を比べて、日本やドイツでは、”便利さ”の代わりに”生きる”ということがすごく難しくなってしまったんだな、と思った。例えば、一日中パソコンと向き合っていると、”生きるため”に費やしている時間は少しもないことになる。でも、”生きるため”に仕事としてやらないといけなかったりする。

便利になったことが悪いというつもりは全くないけれど、私には、発展途上国と呼ばれる国が今も持っているあの独特のゆるさ、陽気さがうらやましく思えた。
「食べるものには困らないんだし」といえる安心感や自由さと、”便利さ”が上手く合わさっていけば、幸せになれていいなと思う。

このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
TOP

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

トラックバックURL:https://farmer-gw.com/deutsch/deutsch-7/trackback/